テクノロジーとデザインの本質的な価値で勝負をする。智歳創業への意気込み【CEO芳賀×CDO澤口対談】
Salesforceのプロダクト開発と分析プラットフォームフォーム開発を行う智歳株式会社(ちとせ)。創業6期目を迎える株式会社Prazto代表・芳賀が、新たな挑戦として2024年に創業しました。
なぜ今、新会社として智歳を立ち上げたのか、智歳で何を成し遂げるのか。その情熱を、代表の芳賀とCDO (Chief Design Officer)の澤口が語ります。
プロダクト・プラットフォーム開発の新会社「智歳」を創業
―まずは智歳株式会社の紹介をお願いします。
芳賀:智歳は、プロダクト開発と分析プラットフォーム開発に特化した新会社です。当初はSalesforceと他のSaaSプロダクトを接続するだけですぐに使用できる分析ダッシュボードの提供を行なっていきます。
智歳とPraztoとの大きな違いは、事業モデルです。PraztoではSalesforceの受託開発をメイン事業としていますが、智歳では自社のプロダクトをお客様に売ることで売り上げを立てます。
あえて事業別に法人を分けたことにも理由があります。ここには、私の想いが強く関わってくるのですが、新卒からエンジニアとしてキャリアを積む中で胸に秘めていた「心躍るモノづくりをしたい」という想いを今こそ実現したいと思ったからです。
社名には「千年を超え、時を越えても変わらぬ輝きを放つ、智の結晶」という意味を込めました。今から千年前は平安時代ですが、当時のデザインは今も変わらず評価され語り継がれている。智歳もそういったプロダクトを作りたいと思っています。
今後は、智歳とPraztoは提携しながら、お客様のビジネスに貢献していきます。Praztoが導入支援をして、智歳が自社プロダクトを作り提供する。そういった座組を考えています。
プロフェッショナルチームの結成。エンジニアとしての夢への挑戦
―芳賀さんが、「今こそ心躍るモノづくりを実現したい」と思うに至った経緯も教えてください。
芳賀:元々は、新卒初めて配属されたプロジェクトで出会ったエンジニアの先輩の影響で、私の中でモノづくりに対する憧れがありました。その方はテクニカルな開発へのこだわりが強く、とてもカッコ良かったのです。先輩に追随して私もシステム開発をしていたのですが、当時リーマンショックが起きてしまい。大規模な開発自体が少なくなり、サーバーリプレイスという私にとってはあまり面白くない分類の開発が主となっていました。
受託開発では、制約や納期の関係で、時にはエンジニアとして納得がいかないモノづくりをしなければならないこともあります。なので、「いつかは自分が納得できる製品を作っていきたい」というエンジニアとしての想いを常に抱えていました。
その後、転職をして3社目で経験した自社のサービス開発が私が新卒の頃に持っていた開発への楽しさを思い出させてくれました。そこでの開発がとても面白くて。「どういう機能を作るか」「どういうデザインを作るか」をチームで討議し、デザイナーとも日々UI/UXを討議して。
当時の感情を表すと、まさに血が滾るような心躍るワクワク感。エンジニアとして楽しくて仕方がない日々でした。
そのような開発をずっと行なっていけるように独立してPraztoを立ち上げましたが、親会社も資本もコネもない状態からのスタート。そうなるとやはり需要がある事業をしなければなりません。だからこそ、創業当初こそ伴走型支援という形態で事業を行いましたが、事業を伸ばすためにはやはり受託開発をメイン事業としてPraztoを成長させていきました。そのため、独立時に私がやりたいと思っていた「創りを楽しむ開発」は結局できていなかったんですよね。でも、ありがたいことに事業としてはPraztoは大きく飛躍しています。
そんな今だからこそ、「私が本当にやりたかった心躍る開発に挑戦できる!」と改めて思い、智歳の創業に至ったのです。
新卒からずっと私は「『SLAM DUNK』のような個々の才能が活きるプロフェッショナルチームで最高のプロダクト開発をしたい」という子どものような夢があります。智歳ではまさにその夢を叶える場にしたく、プロフェッショナルチームのメンバーの一人として、デザイナーの澤口さんにCDOとして参画いただきました。
澤口:智歳の事業は、私が本当にやりたかったことです。「いつかこんなお誘いがあるといいな」と思っていたくらい。智歳の立ち上げにとても燃えていますし、全力を捧げていきます。
芳賀:とても嬉しいです。やはり才能が思い切り輝ける会社でありたいと思っているので。智歳のプロダクト開発も、澤口さんのデザインを武器にしていけたらと考えています。他にも智歳には様々な才能を持つプロが結集しているので、唯一無二のサービスを提供していきたいです。
UI/UXにこだわるデザイナーになるまで
芳賀: 澤口さんとは、Prazto創業初期からのお付き合いです。智歳のCDO就任にあたり、あらためて澤口さんがデザイナーになった経緯や、どういう想いでデザインに向き合ってきたのか教えていただけますか?
澤口:デザイナーを目指した原点は、ゲーム好きだった子ども時代まで遡ります。漠然と「画面のボタンとかウィンドウを作っている人は誰なんだろう?」と思うようになり、子どもなりに調べて、グラフィックデザイナーという職業にたどり着きました。
そこから目指し始めるのですが、グラフィックデザイナーは、デザインの知識があるだけでは務まらないと思っていて。画面上でどう動くかという裏側の仕組みまでわかっていなければと、高校では電子機械科に入学し、コードを学びました。
芳賀:デザインから学んだわけではないんですね。
澤口:そうなんです。最初に基盤を学びたいと思っていて。実際に入学してみて、デザインを作れる人が本当に少ないことがわかりました。作りたいモノはあっても、画面上でボタンをどこに置けばいいかはコードの知識だけではわからない。そういう意味でもデザイナーの重要性もあらためて感じましたね。
そして高校卒業後は、企業連携もしている専門学校のデザイン科に入学しました。案件で自分のスキルを提供してお客様に喜んでいただく経験をする中で、学校以外にも学ぶべきことがたくさんあると実感しました。
というのも、学校ではソフトの使い方を学ぶけれど、実際の現場では、画面の見やすさ、使いやすさが重視される。学校では習わないところにお客様の課題はあったのです。なので、専門学校時代の3年間は、学校の勉強と並行してお客様からの相談の答えを一生懸命アウトプットする、ということを繰り返していました。
芳賀:だから経験値も豊富なのですね。澤口さんはどういった時間軸でスキルを吸収していたのか不思議に感じていたのですが、その理由がわかりました。
澤口:ありがとうございます。また専門学校時代には、システムを勉強している大学生と一緒にアプリ開発のハッカソンにも出場しました。その時に会場で名刺交換をしたIT企業の方や、アプリ・Web制作会社の方々からも案件をいただけるようになりました。業界の方と直接仕事をすると、案件のスピード感なども学べましたね。
卒業後はWeb制作会社に入社し、約2年半働きました。いきなりフリーランスにならなかったのは、会社の仕組みを知りたいと思っていたから。会社の仕組みや案件の流れを知らないと、良いモノづくりはできないはず。それこそ営業から制作まで全ての流れを把握して、独立し、今に至ります。
そのような経緯なので、デザイナーとしてはUI/UXや再利用性を重要視してモノづくりをしていますね。
芳賀:お話しを聞いていて羨ましい限りです。私もエンジニアとして様々なスキルを積んできたつもりではいるのですが、モノづくりに対する自分のこだわりを存分に発揮しきれてきたかというと、難しい部分もあって。だからこそ智歳では、自分のこだわりを貫く経験をしていく予定です。
「情熱大陸に出る人になりたい」デザイナーとして目指す場所
芳賀:ちなみに、Web制作会社を退職されたきっかけは?
澤口:元々、どんなに居心地が良い会社でも、30歳になるまでには独立しようと思っていまして。実際には30歳になる前でしたが、「名前とポートフォリオだけで仕事が来る人間になろう」と思い、独立しました。
芳賀:「30歳までには独立しよう」と決めていた理由は?
澤口:学生時代に「いつかテレビ番組の『情熱大陸』に出られるレベルの人間になりたい」と憧れていたからです。そのレベルになるためには、フリーランスとしてスポットに当たらなければならないと思っていたんですよ。
芳賀:私の『SLAM DUNK』への憧れと近くて、とても共感します!
アートとデザインの調和がとれている状態を目指したい
芳賀:智歳ではデザインも武器にしていきたいからこそ聞きたいのですが、デザインとアートの違いについて、澤口さんの考えを教えてください。
澤口:「個のオープン度」が異なると思っています。デザインはあくまで設計。使ってくださる方がいることが前提で、その方に良いと思われることがゴールです。だからこそ100%自分の理想のモノづくりができるわけではありません。
一方アートは個人的な意見・感情を表すモノ。自分の中に秘めた想いを全面にオープンにするのがアートです。
芳賀:デザインはユーザーのための設計図、アートは自己表現ということですね。
澤口:だからこそアートを見る時はパッと見た時に「良いな」と思うかが大切で。良いと思うということは、作り手と価値観や考え方が合う証拠だと思っています。
芳賀:私も同じ考えで、今の私の最大のモノづくりは「事業」です。そう思うと、私にとって智歳は自己表現であり、アート的な要素もあります。だからこそ名前もコンセプトも攻めています。
智歳では、澤口さんの才能をいかんなく外部に出していきたいので、アート的に攻めた部分もどんどん出していただけたらと思っています。
澤口:たしかに、智歳のブランディングはアート的側面が強いと感じています。でも、意外と自己表現の部分が結果的にお客様のためになっていることも往々にしてあると思います。
例えば、同じデザインの家があるだけでは甲乙つけがたくても、そこにアート的に窓が大きかったり間取りが優れていたりする点があると目が行く、というように。
そういう意味で、アートとデザインの調和がとれている状態を目指していきたいです。見た目や使い方が似たり寄ったりなサービスな中で、アートの部分で一つ飛び抜けたいですよね。
智歳は、テクノロジーとデザインという本質的な価値で勝負する
芳賀:おっしゃる通りです。エンジニア、デザイナーとして本質的な価値で勝負して勝っていきたい。
PraztoのSalesforce 導入支援は、マーケットや代理店チャネルからの需要に応える方向に振り切ったビジネスモデルです。例えるなら魚がいる釣場を探して技術を集中投下し、一気に釣り上げてきた状態。まずは釣場=良質なマーケットと代理店を探し、そこに求められる売り方を考えるところから始めていました。
しかし智歳では、もちろんマーケットは大事ですが、まずテクノロジーとデザインで突き抜ける。それがあまりに素晴らしいから自然と魚が集まってくる。そんな状態を目指しています。
澤口:デザイナーとしても最も理想的な状態です。実際に、それが実現できるチームであると自負しています。
芳賀:智歳のメンバーはPraztoで得た財産そのものです。Prazto創業時に「トップライン(売上)を求めるかボトムライン(利益)を求めるか」という話をメンバーともよくしていたのですが、私はトップラインを求めたいと話していました。トップラインを求めていれば、たとえ利益が同じでもその道程でより多くの人と出会える。その人達こそが財産になると思っていたからです。もちろん、澤口さんもその一人。Prazto創業前の私には今のドリームチームを築くことはできませんでした。
当初個人的にやりたかったこととは異なる事業でPraztoは成長しましたが、決して遠回りではなかったと考えています。エンジニア、デザイナー以外でも、フォトグラファーやライターといったクリエイティブチームでも素晴らしい方々にたくさん出会ってきました。数々の才能に出会えているのは、Praztoで事業規模の拡大を目指して頑張ってきたからこそだと思っています。だからこそ新たな挑戦として、智歳を立ち上げました。自分に正直に思い切りこだわってモノづくりをして、バリューで勝負していきたいです。
澤口:私も同じ気持ちです。私の持っているデザインの知識や経験を全て出し切り、しっかりと良いモノを作っていきたいです。
芳賀:あらためて決意が固まる対談でした。ありがとうございました!
(構成:菱山恵巳子)